「私は、今日、魚の代理人としてここに来ました」
緒方正人さんは、はっきりとそう言った。
<水俣病患者>という肩書を与えられると、緒方さんはそれをやんわりと押し返す。「私は水俣病患者という者ではなく、漁師の緒方正人です..」と。
友人は、緒方さんの「チッソと闘わない」という生き方にたいへん勇気づけられたそうです。
緒方さんは漁師として魚を獲り、獲った魚を食べて生きてきた。その魚が有機水銀に汚染されていたため、緒方さんの体内にも多量の有機水銀が蓄積し、それによって神経が侵され、いまも苦しんでいる。その緒方さんを、わざわざ高レベルの放射性物質が残留する場所に案内し、被曝させてよいのか..。
たくさんの灯籠を灯した小さな舟が消えていく波間に .. 自らも水俣病である緒方正人さん、杉本栄子さんがじっと手を合わせていた。その、佇まいの、なんという神々しさ。お二人が役目を果たしたことによってさらに重い宿業を引き受けていることがわかる。あまりに美しく気高く、これが人間なのだと思った。
私はいまだに緒方さんに会うのが怖い。私の..人間としての姑息さや、弱さ、意気地のなさ、不誠実さ、なにより、人としての傲慢さを、彼は魚の目で見ているから。
「いまから25,6年前だなあ、俺の精神の大逆転があったですよ」
「知っています。『チッソは私であった』という本を読みました」
四苦八苦、七転八倒しながら狂って、狂って、その時初めてわかったんだな。俺は、不知火海の海辺の女島という小さな漁村に生まれ育って生きてきた。生かされてきたということがね。これこそが、実は俺の命の物語そのものだったと気づくんです。その<物語に従う>というか、そこにとどまって、システム社会のほうに行かないで、俺は水俣に還ってきたんだと思うんです。
緒方さんは、いつも自分の中心に座っている。どんなときもブレない。それなのに、なんて自由なんだろう。あるがままだ..。
新生を取り下げた緒方さんは、たった一人でチッソの工場前に座り、前を通る社員一人一人と対話を始めるのである。緒方さんの一人の闘いの始まり。人間としての闘いの始まり。それは緒方正人という人間の命がけの表現の始まりだった。
.. この点でも、私は今どうしようもない閉塞状態のこの世の中から、そうやって平たく言えば「一抜けたという生き方」をしてきくかというときに、このキーワードは、一人になること、一人という存在地点に立ち返ることが必要ではないか .. 一人という原点に立ち返る。それは人としてという原点に立ち返ろうとすることにつながるだろうと思います。
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