5.16.2013

25_進化しすぎた脳 池谷裕二_02


さて、実験の結果、サルはこのロボットアームを自在に動かして、机の上に置いてあるものを掴んだり置いたりできるようになった。そうなったところで、またさっきのネズミの例と同じように、手術して脳に電極を刺して脳の活動を記録する .. こうして収集したデータを、次にロボットアームに直接つなぐ。そうすると、ロボットアームはそのとおりに動く。この場合は、サルはジョイスティックを使ってコントロールしているんじゃなくて、自分の神経細胞の活動から記録されたデータに基づいてロボットアームの動きを再現してるんだ。
ということは、サルはジョイスティックを握って操縦している気でいるのかもしれないけど、本当はジョイスティックを経ずに、ロボットアームを脳から直接に遠隔操作していることになる。
さらに、この実験の後で、実験者はサルの手を動かないように縛っちゃった。それでもサルは、巧みにロボットアームを操ることができた。

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とりわけ身体と脳の関係は、なかなか微妙。サルには手を認知する神経があるけれど、遠くにものがあって手が届かないときに道具を使う。そのサルが棒を使ってものを引き寄せると、指の先の方で反応していた神経が、今度は棒の先の方で反応するようになる。この感覚わかるでしょ? .. 大きな荷物を肩に担いで運んでるとしようかな。いつもだったらすんなり通れるような狭い道にさしかかると、大きな荷物の先まで神経が行き渡るように感じるね。おそらく、ああいう時には、大きな荷物まで含めて「ひとつの体」として脳が管理してるんだろう。身体の一部とみなす。その瞬間だけ、自分の身体が大きくなってるってこと。
身体は脳を決めているかもしれないけれど、脳も身体を決めているかもしれない。その関係性がなかなかあいまいなんだね。


ボディ・イメージという概念があります。自分の身体の物理的存在のイメージ、つまり生物学的内部と外部の境界線のことであるが、このイメージは幻想。われわれが、強固な裏付けのある物理的存在だと信じているボディ・イメージでさえもが幻想であり、「自己」はメタファーである。

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