4.17.2014

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オボカタ現象についての3つの考察。

1. 祝祭としての騒ぎ
民衆は、なぜSTAP細胞の有無についてではなく、彼女のエキセントリックな振舞いについて話題にするのか?
→社会は、カタルシスとしての祝祭を求めるときに、なんらかの「我々意識(="we" consciousness)」を必要とする。村落共同体の構成員としての我々意識が求められない都市住民はある種の「正当性」意識を共有する層、という(一時的な)我々意識にその機能を見い出す。オボカタ氏における「ノーベル賞級の発見」という共有可能な正当性、そしてその後にさらなるカタルシスをもたらす「ねつ造」を弾劾することの正当性は、祝祭を支えるのに十分なインテンシティを備える。

2. オボカタ氏における動機
彼女は近い将来において自らの社会的存在を危うくすることが明らかな振舞いを、なぜ行ったのか?
→彼女はSTAP細胞の実在を信じており、論文に不備やねつ造があったとしても、それは大きな問題にならないことを信じていた、と考えるとある程度説明がつく。

3. 論文の論理と真実について
コペルニクスが発表した論文は「神を冒涜しない」とういう当時のマナーに抵触していたが、彼の言うことは真実であった。同じことがこのケースについても言えるのか?
→彼女の論文が抵触しているものは、パラダイム変換によって肯定される種類のものではなく、非科学的なねつ造を含むものであり、ダメなものはダメ。

ビデオニュース 2014.4.12 ニュース・コメンタリー無料放送

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