8.06.2013

47_なぜ世界の半分が飢えるのか_01

「.. いまここに一人の主婦がいて、樽に入った小麦粉を1ポンド、あるいは壺入りのクリームを1パインと買おうとしたとする。しかし、これでは、彼女はだれかをとくにもうけさせているということにはならない。そんな人間にはまず古い考えを捨てさせ、小麦粉やクリームにもいろいろな種類があるのだということを信じこませなければならない。次に、もしできれば小麦粉やクリームなどを買わせないようにするのが望ましい。なぜなら、その主婦は料理をしようなどというとんでもない考えをまだ持っているからだ。彼女が使うべきものは、会社が喜んで売りに出す高度に加工された便利な食品(ケーキミックスやエアゾールつき容器入りのクリームのようなもの)なのである」

「やりきれないことに、会社が売っている最も栄養価の高い食品は、栄養の心配などまったくない層を狙っている」

「メキシコでは、子どもたちが蛋白質不足で健康を害しているのに、父親が飲むコカ・コーラを買うために家で育てた鶏や卵を売るような家庭は珍しくない」

「発展途上国では、その経済的外見が貧しければ貧しいほど、ソフトドリンクにいろいろな味をつけけるとか、匂いをつけるとかいうような、ちょっとした贅沢が重要になってくる .. 企業側の戸惑いをよそに、栄養状態の悪い貧乏人ほど、必要なものより贅沢なものに不釣り合いな出費をする傾向がある」

バングラデシュの孤児院に住み込んで働いたとき、現金など一円も持たない子どもたちがイチバン欲しいものは、食べものでも教科書でも医薬品でもなく「白いシャツ」だった。学校で「白いシャツを着ていない子ども」は、「白いシャツを買えない子ども」であり、それは、残念ながら人間の価値を決めるほどの決定的な差異だった。

ghostwriter