1.06.2015

マトリョーシカ

神保:..権威に対する妄信みたいなものがまだ続いてしまっていて.. どう見ますか?そこは。
宮台:昔、藤田省三って人がね、日本に置ける権威の構造に着いて、天皇制をベースにした奇妙な構造っていうのを話しているんですよ。あのね、例えば一神教の文化では、権威の源泉は「神の中の神」「主なる神」なんですよね。ところがミカドは、ミカドに限らず日本では部族的なシャーマンもそうなんだけど、ミカドは権威の起点ではないんですよ。ミカドは「祀る人」なんですよ。「祀られるなにか」っていうのがあるわけなんですよ。で、「祀られるなにか」をよく見ると、それもまた「祀る人」なんですね。で、その「祀られるなにか」をよく見ると、それもまた「祀る人」なんです。
神保:マトリョーシカね。
宮台:マトリョーシカだし、無限退行なんですね。どこかに権威の起点があるというわけではない。いくらなんでも「銀行を潰しはしないだろう」というときに「銀行」の向こう側に政府がいるわけでしょ?でも政府が当事者能力をなくす可能性があるわけでしょ?「政府が当事者能力をなくすなんてことはないだろう、アメリカがなんとかしてくれる」..よくわからないけど(笑)。要はね、起点がないんです、日本はいつも。藤田省三は、それがすごく危険なことだと考えた。彼は天皇制に対して公式的にはもちろん非常に批判的だった。しかし日本的なるものの構造がそこにあるというふうにアンビバレントな感情を持っていた。日本的なものの特徴はね、権威の起点がないんですよ。しいて遡ると、時間の無限遠点に消えてるんです。

2015.01.03ビデオニュースより。

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