1.16.2015

神話

文脈:ビッグデータ処理技術の発達によって、AIが言語を理解する能力を備え、オペレーターによる記号化された情報だけでなく、世の中にあるすべての事象(言語化されたものとそうでないものを含む、すべての人間にとっての”意味”)を知識として取り入れて、一定のゴールに向かって働くことを始めたとき、なんらかの理由で(または当然の帰着として)そのアルゴリズムが人間の理解を超え(インセンティブの設計を行っているのが人間であり、それが結果的に人間に可能最大限の幸福をもたらすプログラムだったとしても)それを我々は受入れるべきなのかどうか、受入れないとすれば我々はいま何をすべきなのか?

宮台:いまの政治学や社会学で言えばね、感情と道徳がキーワードになってるんですよ。そんなものがキーワードになるとは、ちょっと前まではだれも思わなかったんですけど。つまりぼくたちの、進化生物学的な達成として存在するというような、結構素朴な感情のプログラムであるとか、ある社会に属することによって、人々が自然だと思うようなプラットフォーム、感情のプラットフォームとかっていうものに、結構規定されたゲームを行っているので、それを無視したインタラクションなんていうものはあり得ないし、逆にそれを肯定したインタラクションにするにしたとしても、さっきの達成の問題とかね、そういったことに関係するんだけど、これはマトリクス問題とか、映画ではよく出てくる主題なんですね。つまりその、ぼくたちがどうしようもなく埋め込まれて存在するもののなかで獲得している恣意性なのか、これ、選べない恣意性っていってるんですけどね、そうじゃなくていま松尾さんがおっしゃったような、そうしたスタディーズを前提とした上で、松尾さんチームが作ったプラットフォームだって理解するのでは、決定的に違うことなんですよ。例えばね、ジェネシス=創世記的な神話っていうのは、いろんな社会にあるんだけれども、社会を作った存在と、世界を作った存在ってやっぱり違っていて、社会を作った存在っていうのはね、必ず外からやってきた英雄、しかしこれ、死んじゃったりして、死んだ後に、つまり、雨降って地固まる的にね、新しい枠組みが出来る。これがね、社会が出来たっていう話なんですよ。ところが世界が出来たっていう話は、かならず、超越神なんですよ。僕たちがコミュニケーションできないような何者かがこの世界を作ったっていうふうに、理解をしないと、僕たちは耐えられないんですよ。この世界は、僕たちが受動的に、パッシブに、埋め込まれているものだと思っていたら、松尾さんチームが作ったものだっていったら、それはどんなに良いものでも、僕たちは耐えられないんですよ。そのことは神話研究からも分かるんです。特別な人が作っていいのは、社会、特別なローカルな社会んんですよ。ところがある感情の働き方とかね、世界の見え方ってことを含めた、世界がこうなってるってことを、誰かが作ったっていうことは、非常に僕たちは、だからこれは、選べない恣意性じゃなくて選べる恣意性なんだけど、僕たちには選べないけど、松尾さんには選べてるっていうね、そういう非対称性が出てくる。それは耐えられない。
www.videonews.com/marugeki-talk/708
videonews.com 2014.11.01より

わたしたちが何に耐えることが出来て、何に耐えることが出来ないか、それに耐えられないのは社会なのか個人なのか、それはそれぞれのフェイズにおいて足枷なのか、幸福をもたらす温床なのか。神話再び。

ghoswriter