9.15.2016

予防接種

花井十伍:予防ワクチンは、いわゆる社会防衛のためのシステムなんですね .. ある軍隊を戦場に送り込んだら100人が戦死するのがわかっていても、必要な時には送り込むわけですね。100人はかならず戦死するわけですけども、彼らに対しては国がちゃんと補償しますよという建てつけがあって。予防接種というのはそれに似ているんですね .. 上に行けば行くほど国家防衛的な色彩が強まる。
迫田朋子:いわゆる天然痘とかですね。

花井:その通りです。だからそのためには、ある程度の犠牲は社会としてアクセプトする。ただ、インフォームドコンセントでリスクをアクセプトするというのは個人の治療の話なので、そこにちょっとコンテクストの差があって、そこが話を複雑にしてると思います。「そこまでやる必要のあるワクチンなのか?」というのがまずひとつポイントです。

迫田:社会防衛として使うべきワクチンであるかどうか。

花井:ワクチンが存在していて、使いたい人が使うという意味で市場にあること自体はいいだろうと。しかしそれを国が強制的にみんなに打てと言えるかどうかというのは、もう一段上のレベルの決断がされているわけです。

ビデオニュース 2016.8.27 「
子宮頸がんワクチン提訴に見る薬害の連鎖が止まらないわけ」
http://www.videonews.com/marugeki-talk/803

20xx年に日本の交通事故死者ゼロを目指す、みたいなニュースを最近見みましたが、交通事故死者数は完全に自然増減するものではなく、当局のコントロールが介在します。つまり、すべての道路の制限速度を10km/hにしない、自動車が走れる道路を完全に歩行者と分離された極端に少ない箇所のみにしない、自動車を廃止しない等の判断には「利便性」あるいは「経済の成長」と「そのために失われる人命」を天秤に載せた末の、「この程度ならしょうがない」という判断が存在します。

その意思決定が、われわれが受け入れられるものであるかどうか、意思決定の過程と根拠がわかりやすく示されているかどうか、決定が利権等による誘導から完全に切り離されているかどうか?

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