11.18.2013

南直哉




「あらゆる意味や目的はそれ自体に根拠を持たない、言語によって構築された虚構であり、それを体験的に実証する方法が坐禅です」

「ということは、そういう坐禅の意味や目的も虚構ですね」

「よくできました。そのとおり。『ただ坐る』の『ただ』は、このパラドックスでしか示しようがありません」

南直哉ブログより。
http://indai.blog.ocn.ne.jp

当然のごとく、ふたつの相反する命題があれば「どちらかが間違っている」ではなく「どちらも正しいとすれば(自分が前提としている)なにが間違っているのか」を考えます。

ghostwriter