続けて宮台真司著作より。
「金銭的裕福度に比べて幸福度が低すぎる」日本人の問題は、僕の師匠の一人、社会学者の見田宗介氏がかねて注目してきました。アウェアネス・トレーニング的な言い方をあえてすれば、何が大目的で、何が大目的の手段としての中目的で、何が中目的の手段としての小目的なのかという目的手段系列が混乱し、手段の自己目的化が生じている可能性があります。
あるいは .. 「モノの豊かさ」をめざす行動モデルが、戦後復興ならび経済成長の達成で用済みになったにもかかわらず、ルーティーン化した自明性として幅をきかせている可能性もあります。
あるいは、自分がどう感じるかというより、世間や他人たちから自分がどう見えているかという「イメージ」に拘束されている可能性もあります。
日本人が抱いている自己イメージ、つまり自分たちは何が欲しいのか、どうなれば幸せなのか、というモデルが現実と乖離して、その結果不幸になっているという文脈です。
インドで会ったオーストラリア在住英国人に、「オーストラリアの最低賃金は時給20ドルくらい」と教えられた。この種の話はたくさんあって、「日本は経済的に豊かなのにヒトが幸せでない」理由を想像すると、「戦後の経済発展レースに周回遅れのポジションから参加して、めちゃくちゃ速く走って挽回したけれども息切れしてしんどい」というようなことかと思いますが、どうなんだろう。
経済学と日本語に卓越した現役ブレイン職のスウェーデン人の友人(ゴーストライターには社会的地位の高い友人・知人が不自然に多い)に訊いてみよう。
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