でも、やっぱりそれもダメ、という理由は..
① 自分が濁るから。他者を悪者としてカテゴライズすることで、わたしたちは圧倒的なカタルシスに包まれることがあります。お酒を飲みながら上司の悪口をしゃべっているおじさんから喜びが伝わってくるのはそのせいです。圧倒的でないにしても、なににももたれかからずに直立するべき自我が、なにかに依存している状態に陥ってしまいます。面倒なことに、その依存状態はとてもラクで心地よいので、立て直すのがとてもおっくうになります。
② 建設的でないから。(とくにカタルシスを含む)批判を口にした瞬間、その相手(「社会」、「組織」、「オーソリティ」、etc.)を、すくなくとも批判を口にした人の尽力で改善することが不可能になります。
ずっと①ばっかり考えていましたが、昨日あるひととしゃべっていて②に気づきました。あるひととの会話は、共通の知人であるローカル政治家が、「想像を絶するレベルで旧態依然の職場でよくやってるよね」→「普通だったら一瞬であきらめるよね」→「彼のコンセプトやストラテジーうんぬんよりも、砂漠にいかに水を撒くかに真剣に取り組んで少しずつ結果を出してるところがすごい」→「そういえば彼は組織の悪口を口にしない」という内容。
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