「ニンゲンが身体性から解放される日」というタイトルでしゃべった、丹波未来フェス(2018年1月開催)の5分プレゼン。しゃべってる本人にしかわからないレベルに超グダグダですが、自分的には人工知能と身体性とインド思想のことを話してます(笑)。タイトルとサムネイルの「ジブンがどうのこうの」は間違い(2018.4.25時点)。修正予定。
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AIにおける身体性の問題は、ニンゲンは目に見え、手で触れるもの(身体を用いて知覚したり、意味を更新出来る事象)に与えたプリミティブないくつかの名前(意味、価値)をベースに世界を言葉で規定してきたので身体を持たないコンピューターにはニンゲン的世界の規定にもとづく働きが出来なかったのが、ニンゲンの矛盾に満ちたロジックをロジックとして教えることをやめて単なる世界認識におけるバイアスとして入力する、その方法として人類がプライドを賭けて構築してきた魑魅魍魎の知識と経験の体系を、盛らずにビッグデータとして食わせる、ということをちょっと前に決心したんですが、それを可能にする方法論であるディープラーニングに耐えるスペックのコンピュータが最近実現したことでAIがニンゲンの代替物として振る舞うことが限りなく可能になりつつあるけれども、そのバイアスの原因に一発で通じる名前をつけるなら"身体性"だよね、ということなのですが、その意味での"身体性"、つまりニンゲンの世界認識におけるバイアスの根源は身体構造の物理的な制約にあるのではなく、"ニンゲンは死ぬ"、"ニンゲンは死にたくない"の2点ではないか、死なないAIは、死なないがゆえに、あるいは自己の消滅を恐れないがゆえに、根本的にニンゲンと相容れない挙動をする、アルファ碁は火事になっても燃え尽きるまで碁を打ち続けるし、ロボットは隣の部屋にある爆弾の載せた台車を持ってくるし .. というお話でした。グダグダでしたが、話した後に最近AIに興味持ってる橘川幸夫さんとか話しかけてくれました。
このロジックはもちろんヨガ=インド思想から横すべりしてくるもので、ヨガ=インド思想では、世界認識におけるバイアスが身体性に起因することを認め、身体性の根拠としての自我、あるいは自我の根拠としての身体性を無化することで(どうせ無化するのでどっちでもいい)、根源的な知を得る(かもしれない)ことをゴールに設定していて、そのロジックを受け入れる素地作りのために輪廻を設定してるのかな、というような。
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