5.01.2017

怨念

宮台:わかりやすく言うと、いろんな多芸な人たち、あるいは、いろんな人たちとコネクションがあるがゆえに多様な価値に開かれているような人間ていうのは、最近の霞ヶ関では生き残れないですよ。簡単に言えば足を引っ張られるから。ねたみそねみ嫉妬の対象になります。ぼくはその、言葉がいいかどうかわからないけど、勉強田吾作っていう言い方をするんですけどね .. いまだったらスクールカーストっていうんだろうけど、一番上が勉強も遊びもできるやつ、次が、微妙なんだけど、遊びができて勉強できないやつで、勉強できて遊びができないやつ。

神保:遊びのほうがが上なのね。

宮台:遊びが上なんです。勉強しか出来ない人間っていうのは、いわば怨念を抱えながら上昇志向を満たそうとして。

清水:ああ、なるほど。

神保:やっかいだ、そいつらは(笑)

宮台:じつは、この図式は、大正時代から議論されていて .. 所詮は田舎者の(コンプレックスの)埋め合わせとしての上昇志向に過ぎない。本当に立派な人間は、そういうさもしい動機を持たない .. よほど注意しないと、役人っていうのは、よほど注意しないと、そういうコンプレックスの埋め合わせの上昇志向を持った人間の巣窟になってしまうというね。

http://www.videonews.com/marugeki-talk/837

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